駒沢大学での講演 2012.12.8

就職:都市計画・まちづくりへの興味

私は法学部出身なのですが、就職を考えるにあたって、ものを作る会社に入りたい、文系であっても企画に参加できる分野がよいなと思っていました。大学時代にヨーロッパを旅行してから、都市計画に非常に興味を持つようになりました。まちづくりという仕事は古今東西、昔から今もずっと続いていく仕事ですし、世界中にある共通の課題に取り組めると思い、UR(旧住宅・都市整備公団)という会社に入社することにしました。

 入社して、早速まちづくりに取り掛かることができました。例えば、それまで駅前の古かったところをきれいにして、バスターミナルや商業ビルを作るといった再開発事業にかかわりました。紙に書いた設計図が実際に目に見えるかたちになっていくということで、非常にやりがいを感じていた時期です。そういう意味では、お金をもらいながら勉強できた感じで、非常に楽しい新入社員時代でした。

 

母親のアルツハイマー病の発病

入社して数年経った後、母が病気になりました。病名はアルツハイマー病で、記憶の障害です。脳の記憶する部分にダメージがきて、それは年々、進行していく病気で、なかなか記憶力を保つことができない病気なので、日常生活が非常に困難になっていきます。

母はお寿司屋さんを父と一緒にやっていたのですが、例えばお店にお客さんが3人来て、お茶を3つ出さなきゃいけないところを5つ出したり、つり銭を間違えるといったことがありました。お砂糖を入れるところにお塩を入れてしまい、すごく塩ぱい酢飯を作ってしまったことなどもありました。

どうしてそのようなことをするのか、非常に不思議でした。そういうちぐはぐな行動が何なのかということが、当初、私には分からず、もしかしたら周りの人を困らせるためにやっているのではないかと思っていた部分もありましたが、病院で診てもらったら、アルツハイマーという病気だったと分かったのです。

アルツハイマー病というのは、生活が次第に困難になっていく障害を持った病気ということで、それをどう受け止めていくかということ、また進行性の病気でどんどん悪くなってしまうので、その点もどう受け止めるかという大きな問題が、私たち家族に突き付けられました。

 

障害者の友達との出会い

同時期に、車いすで生活している障害を持った友達との出会いがありました。彼は脳性まひのため体が自由に動かないのですが、施設に入っているのではなく、自分でアパートを借りて暮らしていたのです。身動きが取れない人がどうやって暮らしているかというと、車いすを使うことに加え、ヘルパーというサポートしてくれる人をたくさん入れて、普通の人と同じような暮らしをしていました。日本中、海外に旅行にも行ったり、私も一緒に行ったこともあるのですが、そういった生活をしていました。障害を持っても、そういった手助けがあれば普通に暮らせるということを、その友達がロールモデルとして見せてくれました。

 

高齢者福祉と障害者福祉の狭間で

母の病気は記憶の障害ですが、それを補うようなものがあれば、彼と同じように、普通に生活していけるだろうと感じられました。ヘルパーさんなど行政のサービスを利用しながら、母の生活を支えていこうと考えました。

 母には徘徊という問題がでてきました。アルツハイマー病は記憶の障害ですので、本当は自分の家なのに、いったん外に出ると自分の家への帰り道が分からなくなってしまうような状況もあり、なかなか母を一人にしておけなくなってきました。

そこで行政のサービスを利用したいと思いましたが、その当時、母は55才でしたので、当時の高齢者福祉のサービスは65才から利用できるということで、まだ若すぎました。また、手も足も動けるので障害者福祉には当たらないと判断されてしまいました。ちょうど制度の狭間にあり、必要なサービスが受けられなかったという経験をしたのです。

行政が提供しているサービスというのは、どちらかというとサービスに人を合わせるというかたちが多かったのですが、やはり人に合わせたサービスをする必要があるということを非常に感じた時期でした。

 

国土交通省(旧建設省)での行政研修

入社6年目に、仕事の関係は行政研修と言うことで、旧建設省の都市局に派遣されました。政権が変わったとき(自社連立政権)に、役所(霞が関)で法律を作る、また法律を改正する仕事をしていました。今まで決まっていた制度を、国会という議論をする場で合意できれば変えることができるということを、裏方で見させていただきました。「制度は決まりきったものではなく、変えていけるのだ」ということがこの時にわかりました。その舞台裏を見せてくれたということは、非常に大きかったと思います。

 

介護の精神的辛さとURの退職

一方で、母の介護をしている中で、家族の精神的な負担はかなり大きくなっていきました。一番つらい部分は、肉体的に対応しなければいけないこと以上に、心の問題が介護者にとっては大きな問題でした。

孤独感を持ったり、しんどい思いをしているので、それをサポートできるような仕組みづくりができないかと思い、心理学系の大学院で研究してみようと思いました。それで会社を30才のときに辞め、いろいろな活動をしていく中で、心理学では心の中の問題にしか対応できない、結局、心理学のアプローチは個人をどう変えていくかというが主眼にあるのだと気づきました。

私の場合は、介護の現場を見ていく中で、やはり個人だけではなく周りを含んだ関係性を変えていかなければいけないと思ったのです。

 

山下栄三郎氏との出会い

そういった中で不登校の子どもたちを支援する「バクの会」(当時)という活動をしている山下栄三郎さんという方に出会いました。この方は日本のソーシャルワークの元祖とでもいうべき方で(現在、日本スクールソーシャルワーク協会会長、日本社会事業大学教授)、社会福祉をやっている方です。彼のやり方は、子どもを変えるのではなく、子どもを取り巻く環境をどう変えていくか、どう調整していくかということによって、子ども個人の問題を解決していくというやり方をしており、結果として、社会福祉が非常に重要になってくるということでした。

社会福祉、介護の現場などの話を聞いていく中で、現場の人もいい介護をしたいと思ってもなかなかできないのは、先ほどお話ししたように制度の壁があり、ここまでしかできないという限界が制度的にあるということこそが、現場の人が苦しんでいる問題だと分かりました。

 

制度を変える、政治を変える必要性

その制度を変えるのは何かと考えると、先ほど行政研修のところでお話ししたように、それはやはり政治です。国会で法律を変えるため、政治を変えていかないと、現場の大変さや利用者の大変さを変えられないということなのです。

その頃、文京区で介護の計画を決める介護保険事業計画が策定されたのですが、それを議論していく審議会がありました。審議会は、役所の人だけではなく、区民も入れていくという仕組みになっていましたが、その中に、やはり実際に介護をしていた人を計画づくりの中に入れてほしいという要望を、役所の人にお願いしてみました。

しかし、役所の人が受け入れてくれなかったので、なかなかそういうことはできませんでした。

 

文京区議会への請願

区民の要望を通すために「請願」という制度があります。区議会に対して区民が、こういうことをしてほしいという要望を出し、区議会にその主張が妥当だと認められれば、区議会側から、区民からこういう要望が出ているから行政としてもやってくださいと言える請願という制度がありましたので、それを利用しようと思いました。

実際に区議さんとお話もしました。こういう内容で請願を通したいという話をしたり、実際に区議会の議論していく現場を見ていく中で、議員を通し間接的に変えていくよりは、やはり自分が議員になったほうが早いだろうと思うようになりました。

 

無所属で文京区議に

ただ、そのとき、自分自身は政治とは全然関係なく、どうやって政治家になれるのか、見当がつきませんでした。まずは議員の秘書からスタートするという方もいらっしゃるかとも思いますが、私の場合は、どこの政党がいいとも思っていなかったので、無所属で議員になれる方法はないかと考えました。

文京区には無所属で議員になった方もいましたし、当時、20代や30代で議員になる人が増え出した頃でしたので、全国的にそういう若手の議員を育成していこうという動きがありました。そういった動きを知る中で、無所属でも1人でも議員になれる選挙のやり方を教えてもらい、議員になることができました。

 ちょうどその時、介護保険制度が議論されているころで、介護保険の問題が注目を浴びていたので、そういう追い風もあって無所属でも当選できたのではないかと思っています。当時、私は33才で、文京区区議の中では最年少でした。そういった若さもあったと思います。

 介護保険をどう施行していくかということでは、国の制度ですが、自治体ごとに計画を作ってやっていくということで、意見を出せるようになったことも非常に大きいと思います。

文京区の介護保険(23区の中での比較から)

ところで、介護保険制度は全国一律の仕組みで動いている制度です。要介護度といって、介護が必要な度合が一定のものさしで決められ、その要介護度によって利用できるサービスが決まります。一番多くて36万円を月に使えるとか、逆に一番低いと3万円ぐらいしか使えないなど、介護の重さによって利用できるサービスの中身が決まってきます。

そういう仕組みは全国一律の制度なのですが、実は、自治体によって運用の仕方が全然違います。

こちらの資料で見ていただきますと、表面の真ん中に棒グラフがあるかと思いますが、これは高齢者1人当たりの介護費用です。区全体でかかっている介護費用を高齢者1人当たりに割り戻した数字ですが、一番多くて1人当たり2万2千円使っている区から、低いところだと1万8千円など、23区それぞれによってかなり開きがあります。

区によって高齢化率が違うということかもしれませんが、これは1人当たりに直しているので、高齢化率は関係ない数字です。ですから、区によって利用できるサービスや実際に利用しているサービスの状況が違っているということが見て取れるかと思います。

 次に裏面が、介護費用の中でどういうサービスを使っているかの内訳です。介護サービスには家で生活するためのヘルパーさんに来てもらえる「居宅」と言われているサービスと、大きな施設に入居するような「施設型」のサービスが2つあり、それがBとAです。また、民間の「有料」老人ホーム(C)も存在します。

こういった介護サービスについて、23区それぞれの利用者がどれを一番使っているかということの順位付けをしてみました。例えば品川区はAとC、施設に入っていくようなサービスが充実しています。逆に、家でサポートするサービスは逆に最下位になっていることがわかります。

対照的に、荒川区は家に来るようなサービスは充実していますが、入居するような施設の利用は意外と低いです。

このことから、住む区によってどんな生活ができるか、ずっと家に住み続けられる区なのか、それとも施設に入らなければいけない区なのか。同じ制度・仕組みでも、住む区によって、こういったかたちで住民の生活が変わってくるということが明らかになっています。

これは、区民それぞれの状況にもよるかと思います。1つ目は、所得です。介護保険のサービスには利用者負担が1割出てくるので、区民の所得によって、お金持ちだったらサービスをいっぱい使えますが、お金がない区民の方が多いところだと、サービスを利用できなくなってしまうというのが、介護保険の矛盾でもあります。

もう一つは、施設を作るか作らないか、その町にあるかどうかというのは、行政の方針で変わってきてしまいます。ですから、施設をいっぱい作ってくれるところは当然に利用もしやすくなりますが、施設がほとんどなければ、そもそも利用できません。

例えば、文京区は施設が少ない自治体なのですが、特別養護老人ホームには800人ぐらい入居したいけれども、入居できない人がいます。文京区は残念ながら、そういう町です。

それは、町の状況にもよりますが、行政の姿勢によって変わってきます。そして行政の姿勢を変えるのは、政治が決めるということになると思います。

 

文京区議会の役割と現状

ところで、皆さん、政治は縁遠いものというふうにお感じになっているかもしれませんが、実は、例えば介護保険の話し一つをとってみても、我々の生活は政治に非常に左右されているということがお分かりになると思います。

若いうちは、行政サービスを利用しているのはせいぜい図書館やごみの収集ぐらいなので、違いはそんなに分からないかもしれませんが、それでもこういうかたちで比較すれば、住んでいる町によって図書館の充実度が違っているということは当然出てくると思います。

今度は大きいほうのプリントになるのですが、真ん中のページに「文京区議会は何のためにあるんでしょうか?」とあります。条例といって国の法律に当たるものを提案する機能があったり、区長のチェックと区議会とあります。

これは国会と違い、自治体は二元的代表制といって、アメリカでは大統領がいて連邦議会があるというような関係に非常に近いです。区長がいろいろな予算を出したり計画を出したりなどの主導権を取っていますが、それが独走しないようチェックをするのが区議会で、合議制でチェックするという仕組みになっています。そういった機能を果たしているかどうかということが議会に求められていることだと思います。

そこで、同じ考え方をしている議員同士で政党に近いかたちのグループを作る会派というものがあるのですが、そういった会派がどういう行動をしているかということを図表に分けてみました。①条例提案をするかしないか、議会の政策提案権を使っているかどうか、②区長のチェック機能をきちんと果たしているかどうかというようなことを、それぞれの会派がやっているかどうかを分類してみると、こういうかたちになります。

この下の数字はその人数で、私が属しているのが市民の広場という5人のところです。左下が区長を支える与党と言われるところで、文京区議会は34人が定員ですが、3分の2が基本的には区長を支えるようなグループになってしまっています。国会で言ういわゆる大連立が文京区議会ではできてしまっているわけで、役所側の主導で物事が決まってしまうような状況になっています。

 

議連政治の可能性

政治の中で、今、与党、野党だとか、いろいろ議論されていて、もともと二大政党制ということで民主党と自民党で政権交代をしていこうという話で進んでいたのが、今回(平成24年12月)の選挙では11政党が出てきました。それぞれ、TTPや原発の問題や税金の問題など、政策課題によって、いろいろ意見が割れました。多分、自民党の人でも議員一人一人でTTPに賛成、反対があったり、実は政策ごとに考え方が違っているのではないかと思っています。私自身は政党と無関係で政治とかかわってきたということもあり、組織政党の政治から議連政治に今後、変わっていく必要があるのでないかと思っています。

議連政治とは、テーマや課題ごとに、推進派の議員の集まり(議連)を形成し、反対派と議論をして、政策形成を進めていくやり方です。その際に、所属する政党等に拘束されず、各議員は推進派、反対派に分かれて議論をしていく「議連政治」が実現できれば良いなと思っています。

このように一つの政策、テーマ、論点ごとに賛成・反対を決めていくというあり方が非常に重要だと思います。

今の政党の枠組みでイエス・ノーを決めていくと、もう会派の構成で3分の2が賛成するグループ、あとは反対するグループと分かれてしまい、常にそれで物事が決まってしまいます。

しかし、テーマごとに賛否を個々人がそれぞれ取っていくようなかたちになれば、一つの問題、国であれば法律、地方であれば条例に関して、五分五分で例えば51パーセントで決まったのか、70パーセントの賛成で決まったのか、それとも100パーセントで決まったのか。結論は同じ可決ですが、60パーセントなのか、70パーセントなのか、80パーセントなのかで意味が違うわけです。それだけ多数の賛成だったのか、それともギリギリで通ったのかということ、そういう民意、国民の気持ちのバロメーターをより明確にすることによって、それが一つの行政側に対するメッセージになっていくと思います。そういった仕組みの方がよりいいのではないかと、個人的には思っています。

 

市民の力、NPOの力

ところで、実際、議員になってみて感じることは、行政に対して議会活動、議論を通して変えていくということも必要ですが、もう一つは、行政だけではなかなか埋められない、地域では非常に大きな問題があるということです。

例えば、動けない、移動に困難がある人。そういった人たちを、誰がどうサポートするのか。移動に車いすを利用している高齢者などはなかなか外出しづらいのですが、そういったところを区民の人同士が支え合い、有償タクシーという仕組みのあるのです。そういうサービス、行政の税金を使ってはできない部分を、区民の人同士の支え合いでサポートしていかなければいけないといことで、NPOの活動、ノンプロフィットな活動が今後ますます必要になってくるのではないか、不足しているところをNPOが補っていかなければいけないと思います。議員活動をしていく中で、行政の活動も当然、前に進めなければいけませんが、区民の力も必要になってくるのです。

例えば、認知症の人をサポートするための認知症サポーターという制度があります。これは行政だけがやるのではなく、区民一人一人が認知症とはどういうことなのかをきちんと理解し、認知症の人がいたらどういうふうにサポートしたらいいのかを学んだ後、認知症サポーターになることができるのです。これは、行政だけではなく、区民の協力がないとできません。区民にそういった講習会に参加し学んでもらい、区民の側の意識を変えてもらわないとできません。

実は、行政と区民は二人三脚でまちづくりを進めなければいけませんし、議員も同じように区民と一緒に変えていかなければいけないということです。そういった部分のサポートが非常に重要だと思っています。

 

老い支度のすすめ―なぜ介護にこだわるのか

私の場合は、これまで福祉タクシーサービスの立ち上げ等、自分自身は介護の問題に若いうちに直面し、また障害をもった友達というロールモデルがあったから、直面する介護の課題にどういうふうに対応するかということを先取りする形で、物事を考えることができました。

個人的によく相談を受ける中で、議員としてお困り事の相談を受けるのですが、介護の問題では、もっと前にこうしておけばよかったのではないかということが非常に多いのです。ギリギリになって、問題がこじれてから駆け込んでこられることが多いので、こういう問題が起きたらこういう対処法があったにも関わらず、予めやれてなかった、だからもっと深刻な問題になってしまったということがあります。

要は、病気でも介護予防というか、病気にならないよう予防するのと同じように、生活の問題、例えば経済的な問題や人間関係の問題、そういったことも予め予想して、起きるリスクに対して備えておく必要があると思います。それを「老い支度」というのですが、高齢期にはどんなリスクがあり、それにどう備えておくかということを予め考えておきましょうという啓発活動がやはり必要なのではないかと思い、そういったNPO活動もしています。

なぜ介護にこだわるのですか、とよく聞かれます。行政の分野、議員の仕事は子育て、教育、まちづくりといろいろある中で、なぜ介護や福祉にこだわっているかというと、人間にとって一番不安なのは、介護が必要になったときに、きちんと人間らしく扱われるかどうかが、非常に重要なのではないかと思っています。

人は健康だったり自分で動けるときは、多分、お金がなくても何とか自分で解決できますが、人の助けが必要にならざるを得ない状況に置かれたとき、それが一段と不安なのだろうと思います。

「ピンピンコロリで死にたい」とよく言われますが、結局、介護の状態になって、人の手助けは絶対受けたくないから、すぐに死んでしまいたいという気持ちを込めて、お年寄りはそう言っていると思います。

人間というのは、そもそも介護が必要ない状態は、逆に一時的な状態です。赤ちゃんで生まれたときは、自分ではご飯も食べられませんし、おむつもしていますから、助けが必要な状況です。それから育って、健常者と言われる状態になり、年取って死ぬときに一気に死ねればいいですが、きちんと段階を追って体が弱くなり、だんだん亡くなっていく死という段階に進んでいくわけですので、要介護の状態が人生の中に必ず組み込まれているのです。だから、そこをどういうふうに準備していくのかということが非常に重要だと思います。

老い支度ということに関しては、個人の老い支度は当然ありますが、社会全体の老い支度もあるのではないかと思います。みなさん、今後、会社に就職したり、いろいろな分野で働くことになるかと思いますが、多分、それぞれの会社の中で、高齢化社会にどう取り組んでいくのか、多くの人が介護が必要な状態になる社会になっていくということに対してどう備えていくのかということは、金融機関に限らずどの仕事においても必要になってきます。利用者も高齢化しますし、働く人も、その親が介護が必要だということになってくると、介護休暇制度についても、どういう制度を会社の中で作っていくかということも必要になってきます。社会全体としても老い支度を考えていく必要があると思います。

 

常識に縛られずに考える、行動する

議員の仕事というのは、私の場合、福祉関係を中心にやっているので、ソーシャルワーカーだと思っています。個人的な悩み事も吸い上げて、それを役所に伝え、制度をどう変えていくかということがありますが、それは個人の問題が社会の問題につながっていくということで、それをつなげる役割だと思っています。

先ほど申し上げたように、法律というのは、ある意味でその時代における常識を表しているのですが、時代の流れや変化によって、今日の常識が明日には非常識になっていくということもあります。

例えば10年前の常識と今の常識はどこが違うかというと、タバコの分煙の問題があります。昔は、会社の中でも自分のデスクでタバコを吸う人がいて、それが当たり前の状態でしたが、今はそんなことはあり得ないという状況になっています。

また、クールビズという言葉がありますが、昔は夏でもネクタイをしなければならない時代でした。それが、とりわけ震災以降、考え方が変わりました。今は夏にネクタイをしなくても、全然違和感がありません。

このように、昨日の常識は、今日はもう違っているということがあります。やはり、どういう社会の流れになっていくのか、先を見る目、すなわち、ある意味で常識を壊していく先見性が非常に重要なのではないかと思っています。

 その先を見る目はどこから来るかというと、よそ者(アウトサイダー)だったり若者(新参者)だったり、またばか者(利害を考えないという意味で)という、その三者から出てくるだろうと言われています。

まず、アウトサイダーです。同じグループの中では見えてこないものも、外から見ると違ってくるだろうということがあります。これは例えば、僕自身、個人的に北欧の研究会を持っているのですが、日本の介護保険制度も決まりきったものではなく、ほかの国では、もっと別のやり方をしているということを知ることによって、こういうところが問題であると気付けることがあります。やはり視野を広く持つということが、今後必要になってくるのではないかと思います。

次に、若い人ということですが、私自身も議員になったときは30代で、若さということで、やはり、そういう新参者や新しい人には非常に期待できると思います。ぜひ、皆さんの若い感性、こんなことはおかしいという思いなどを持ち続けてもらいたいと思っています。

3番目に、ばか者ということで、これは利害を考えないという意味ですが、先ほどお話したNPOは非営利ということで、営利を考えないということです。でも、それは今までの考え方からすれば、ボランティアは無償奉仕が重要だということですが、このNPOは非営利なのでお金を儲けてはいけないという話ではなく、お金を配分しないということです。利益が出てもそれを配分しないということがNPOでは重要で、株式会社などとの違いは、株主がいて儲けが出たら、それを株主などに配当することが営利ということです。それをしない、つまり、儲けた利益をどうするかというと、その次の活動に生かします。非営利活動をどんどん広げていくことがNPOの本来の主旨であり、今後のあり方です。日本ではNPOで暮らしている人は少ないですが、アメリカなどではNPOが就職先になっていたりします。ですから、環境団体や子ども支援団体のような、きちんと給料が支払われるNPOもあります。それが常識になっているところもあり、今後の社会のあり方として重要になってくるのではないかと思います。

 議員になって自分が一番目標としているのは、常識に縛られて生きていくのではなく、自分の頭で考えていける人を増やしていきたいということです。結局、NPO活動というのは、社会にとって必要だけれど、今までなかったものを作っていくことです。こういうものがあったらいいな、欲しいなというものがなければ自分で作っていこうということです。それは自分の頭で考えないとできないと思います。そういった一人一人を育てていきたいということが一つの目標です。

 

新しい公共の担い手

自治体でも、誰かが何かをしてくれるというのではなく、自分が地域やほかの人にできることは何かということを考えていけるような人たちが、これからは求められていくのではないかと思います。

新しい公共の担い手ということがよく言われます。これは、今まで行政と民間企業という対比で考えられてきましたが、皆さんもいろいろ勉強されているかと思いますが、行政にも民営化という部分があり、民間企業と同じような感覚で変わっていこうというふうになってきています。企業の側もCSRということで社会貢献、企業も公的なことを担っていこうということです。

多分、行政と民間企業との境目がなくなってきて、最終的な世界のあり方というのは、行政も民間もなく、すべての企業がパブリックなことを考えて行動できるような、環境の問題や福祉の問題など、いろいろな政策課題を企業側もきちんと考えて行動できるような社会になっていくことが一つの大きな将来像ではないかと思っています。

要は、大きな政府がいいのか、小さな政府がいいのかということではなく、どちらもあるような、民間企業もパブリックを担うし、行政も民間的な活動をしていくというようなイメージです。今はどちらかというと二分論かもしれませんが、そういったあり方もあるのではないかと、私は考えています。かなり遠い先の話かもしれませんが、そう思っています。

 

人々の意識改革、エンパワーメント

とはいえ、みんながパブリックな気持ちを持てるかというと、なかなか持てません。先ほど話しましたように、私の場合、心理から社会福祉、政治という流れで、個人から社会の問題に関心が移っていったのですが、逆に、社会を変えるためには、連動する一人一人の心の問題も非常に重要になってくると思っています。

例えば、児童虐待が非常に大きな問題になっているかと思いますが、それは特別な人がやるわけではなく、実は一人一人そういう芽を持っていて、たまたまそういう環境に置かれたから、そういうふうになってしまったという面もあります。

ですから、やはり、自分の中にそういう芽はないだろうかと考えなければいけないと思います。要は、自分よりも立場の弱い人を目の前にしたときに、自分が強い力を持つ立場というか、支配できる立場にいるときに、そういった力を行使したいという誘惑に駆られてくると思います。そういったところを見ていかなければなりません。

例えば、障害を持った人と健常者では、どちらかというと障害者は弱い人で守らなきゃいけないとか、役に立たないというレッテル貼りをするかもしれませんが、そういう人と向き合ったときに、どうするかということです。

エンパワーメントという言葉がありますが、社会的に弱い立場だと思われている人も権利の主体である、社会の中心にいていいのだという意識改革を、障害を持っている人の意識もですし、逆に障害を持っていない人の側の意識も変えなければいけません。

エンパワーメントという言葉を訳すと、下剋上だという人もいます。弱い人が逆に強い立場になったら、どういうふうに感じるかということを見てみましょうということでもあるので、そういうところも非常に重要になってくるのではないかと思っています。

 

Coカウンセリング、からだを通した癒し(ディスチャージ)

では、なかなかそういうことができない理由は何かというと、やはり、僕たちは非常に傷ついてきています。傷ついているから人を傷つけてしまうという部分があります。それは、いつ傷ついているかというと、赤ちゃんの時です。自分が全介助が必要な状態の時にどういうふうに大人から扱われてきたかということを、逆に今やっているという部分があります。人にやることによって自分の心の傷を癒そうとする働きです。心の傷はいつかは癒されなければいけません。

そういったものをどう癒していくかということですが、私自身はNPOでCoカウンセリングということをやってきました。Coカウンセリングというのは、Co、生協とかコープと言いますが、相互、お互いにという意味で、お互いにカウンセリングし合うということです。カウンセリングというと特殊な人がやるものと思われますが、元気な人でも日常活動をしていく中で、いろいろなプレッシャーを受け、傷ついていきます。先ほどの小さい頃の傷というようなことも当然あります。それが今の行動に無意識のうちに影響しているということを見つめていこうということです。

そういうCoカウンセリングで話していく中で、気持ちが出ていき、それが癒されていくということになりますが、人間の体というのは心の傷を癒すために、ちゃんとした仕組みをもっています。それは、体を通して解き放たれます。

例えば、悲しい気持ちだったら涙が出ます。怖いときには手に汗をかきますが、汗をかくということも、実は恐怖を癒す体の仕組みなのです。

また、あくびは退屈なときに出るということは、退屈な気持ちなどを癒す体の働きが、あくびなのです。だから本当はたくさんあくびをしてもいいのですが、そういう体を通した解き放ちや癒しに関しては誤解があって止められてしまい、あくびを止めると余計に眠くなってしまうという悪循環があります。

そういう体を通した解き放ちをたくさんやって昔の傷を癒すことによって、ちゃんと物事を考えていこう、過去に縛られないで現状を適切に捉えるにはどうしたらいいかということを考えるのがCoカウンセリングです。

泣いている人を見ていると、皆さん、泣くのを止めてあげたいと思ってしまうのではないでしょうか。もう泣かなくていいよと言いたくなります。でも、逆に泣くことが癒す過程になっているので、どちらかというと、泣くことを励ましたりすることがあります。もっと泣いていいよと。

また、男性と女性では、男性の場合は、「男の子は泣いちゃ駄目」と言われることがあります。それは逆に男性への差別なのです。よく自殺などの問題で、男の子が誰にも相談できずに死んでしまうという例がありますが、男性の場合は、男女差別のようなことも当然ありますが、男性は男性で、そういった癒す過程を止められていたりするのです。要は、子どもの時に、男性と女性ではどちらがスキンシップをたくさん受けられるかというと、男性のほうが少ないのです。だから、人間的な扱いを男性はなかなかしてもらえないというところがあります。それが男女差別の問題だったり、障害者差別に当然つながっており、人をきちんと人として扱えるかどうかということは、そういったところの男性への抑圧や差別によって、実は無意識のうちに植え付けられている部分があります。

DVの問題なども大学生の間で最近あろうかと思いますが、本当はお互い男性、女性、愛し合っているにもかかわらず、つい暴力が出てしまうということは、暴力をしてしまう男性自身が必ずしも悪いというわけではなく、かつて、そういうことがあったから、そういうふうにせざるを得ないという部分もあります。そういったところもきちんと見ていく必要があると思っています。

 そういうかたちで、心の問題もある程度見ていかなければいけないと思っています。そうはいっても、やはり個人の問題というのは社会全体の問題です。したがって、先ほどお話したように、社会福祉やソーシャルワークで解決していかなければいけません。両方を見て社会を変えていかなければいけないのではないかと思っています。

 

政治・議員の仕事の本質―「決める」ということ

また、政治の問題に戻りますが、常識を疑ってみるということですが、三権分立というものがあります。司法、立法、行政なのですが、本来、行「政」ではなく、法を行なう行「法」だと考えています。行「政」は政(まつりごと)を行なうということですが、そういう言葉の違い、「政」を本当に行うのは誰なのかということになると、本当は行「政」ではなく、法を行なう行「法」のはずなのです。

今、いろいろ政治の問題が言われる中で、行政や役人の問題、官僚と政治がどう向き合っていくかということになると、そこで今の常識が問われてくると思います。

また、予算、消費税増税の問題にも関連しますが、私が議員になって最初のころの勉強会の話なのですが、予算の勉強会のときに、「出るを図って入るを制す」と教わりました。家計などでは、定期的な収入があるから支出をどう切り盛りするかという「入るを図って出るを制す」が一般的だと思いますが、議員になったときに最初に学んだのが「出るを図って入るを制す」なのだと言われたのです。社会にとってどれだけ行政サービスが必要なのかということがまずあり、それに見合うよう、どういうふうに賄っていくのかという順番で本来は決めるべきだということです。歳出に合わせて税率を決めるべきだということだと思います。アメリカなどでは、町によって住民税の税率が違っていたりすることがありますが、やはり今のあり方がいいのかということは、常識を問われているところだと思っています。

 また、議員の仕事の本質とは何かということで、先ほど、政治家になりたい人はいますかと話をしましたが、実は、議員という肩書を持たなくても、皆さん一人一人が政治家だと言えると思います。政治家の仕事の本質は、決定していくことです。決めること。議決というかたちで町のあり方を決めます。

一人一人が人生を生きていく中で、今日、今、ここにいること自体も、皆さんが決めてここにいるわけです。別にここにいないで、遊びに行ってもよかったわけです。でも、決めてここにいるということは、選択しているということです。そういった人生の積み重ねが、一人一人の選択が社会全体を決めているのです。

例えば、ある商品をたくさん買えば、その商品が売れて、その商品を販売する会社が大きくなり、その商品のための原材料が海外から輸入されるというかたちで、1人の決定やみんなの決定が社会全体なり世界全体を動かしているということになります。

こういう風に考えると、実は、皆さん一人一人が政治家だと言えます。だから、一人一人が今、何を買うかということ自体も実は政治的な行動なのです。電気をつけるかつけないかということも、社会に影響を与えます。原発の問題などは、多分、ようやく最近になって意識化されただけであって、今日電気をつけるかつけないかということ自体が原発の問題にかかわってくるということで、日々の行動自体が実は政治活動だということを思い返していただければいいと思います。

 もう一つ、先ほど、議員の役割の一つに、区長に対するチェック機能があるということもお話しました。

区長が1人で決定し、それが暴走しないように、議員が34人いて、いろいろな目で考えられる、論点を明確にして議論したり、反対意見や少数意見があることで案が鍛えられていくということが、本来の政治のあり方なのではないかと思っています。

そういった皆さん、いろいろ意見を持っているかと思いますが、自分が人と違う意見を持っていても、それはすごく大切にしていただきたいと思います。なぜ、そう思うのかということも、当然に人と違っていていいのだということもです。今は空気を読めないと生きづらい社会かと思いますが、そういう違和感みたいなものは、先ほど言ったように、すごく大事にしてもらいたいと思います。

また、逆に今の政治は良くないということを、おじさんなどが居酒屋などで、野田首相はどうのこうのだというようなことを言いますが、もし自分がその立場だったらどう考えて行動するかということを、ぜひ考えてもらいたいと思います。そういう練習を常にしてもらえたらと思います。自分が野田首相だったらどういう決断をするか、どういう行動をとるかということを、ぜひ考えていただければと思います。

議員の定数、待遇

今、行政改革などに着手する前に、政治家や議員、役人などが身を切るべきだという話が結構あります。その中で、議員定数を減らすという話もあります。多分、いろいろな考え方があると思いますが、数を減らすと、国民1人当たりの議員の数がより大きくなってしまうので、より距離ができてしまうのではないかという感じはします。

一方では、そういう問題もありますし、逆に、お金を削減するためには、人数は変えず1人当たりにかかるコストを減らせば、議会費を減らせるという議論もあります。給料が高すぎるのではないかという話もありますが、そちらを減らすと、優秀な人が行かなくなるのではないかということがあります。今までサラリーマンとして働いていた給料と比べてみて、どちらが有利かと考えたときに、サラリーマンのままでいたほうがまだ実入りがいいと思ってしまうのではないかと思います。

ある面では、議員の仕事は決断していくということですが、物事を決めるというのは、人には一番厄介な仕事だと思います。ついつい、まあいいか、また明日決めればいいか、ということになってしまうのですが、この決定がその先どうなるかということが見えない中で決めていくということは、ある面で経験や知識も入りますし、エネルギーも実は要る仕事です。

賛否が明らかな条例のときには悩みませんが、イエスかノーかが揺れるような案件のときは本当に夜も眠れずに考えて、自分で納得する結論を決めていきます。そういった仕事をしてもらうのに見合った裏付けということも、一方では必要になってくるのではないかと思います。

北欧などでは、基本的には無給の仕事です。普段はサラリーマンや看護師などをやっていて、夜、議会があり議論するというかたちです。そういうボランティア的な議会のあり方も当然あるかと思います。先ほど23区の介護保険の違いでお話させていただいたように、日本では地方分権が意外と進んでいます。自治体で決めることが意外と大きいのです。北欧ですと、大体、どこの自治体も同じようなことをやっているという面がありますので、そういう意味では、ボランティア的にやることも可能ですが、日本のような状況だと、ある程度、プロというか、専従の議員という職業のあり方も必要なのではないかと思います。そこらへんは若い皆さんはどう思われているか、とても聞いてみたいと思います。どちらのあり方がいいと思いますか。プロの政治家がいいのか、北欧型のアマチュア型の政治家がいいのか。いかがでしょうか。

とりあえず、いろいろとお話をさせていただきましたが、まだ時間があるので、逆に今まで話した中で、皆さんと意見交換のようなことをしてみたいと思います。聞きたいことなどがあれば、15分ぐらい時間があるかと思いますので、意見交換や質疑応答ができたらいいと思います。よろしくお願いします。

何か、質問はありますか。逆にコメントでもうれしいです。今日、聞いたことで、こういう点がよかった、あるいはこういった点は前田さんとは違う考えを持っていますということを聞けると、非常にうれしいと思います。個人的な質問でも構いません。議員は給料をいくらぐらいもらえているのかというようなことでも全然構いませんし、なるにはどうしたらいいのかということでも構いません。ご自由に言っていただければと思います。いかがでしょうか。

 また、政治家とのかかわりはありますか。出会い、会ったことがあるとか、ないとか。行政とのかかわりについては日々、どう感じているのかということなど。それぞれ、皆さんがどんな夢を持っているのかということも、すごく聞きたいと思います。自分も学生時代は、まさかこういうかたちで議員になって、皆さんの前で話しているなどとは予想だにしなかったので、皆さんもこれから社会に出て、いろいろ経験されていく中でいろいろな人生を開いていかれるのかと思います。でも、とりあえず、今、どんな夢や希望を持っているのかということについても、若い人のお話を聞いてみたいと思っていますので、是非、遠慮なく教えていただければと思います。別に授業ではないので、評価はされませんので自由に言っていただければと思います。よろしくお願いします。

司会:ひとまず、ここまでということで、前田さん、ありがとうございました。(拍手)